畳職人佐野典久
日本の古きを楽しむ

家族や家、土地といった目の前にあるものを”一所懸命”に守り大切にしてきた日本人。
決して派手さのない中に、侘び寂びを楽しみ、1つ1つの物を大切にしながらひっそりとたたずみ続けてきた
日々進化を目的とした進化の中でグローバル化されてきた今だからこそ、
”日本の古き”をもう一度見直し、改めて生き方を考えていきたい。
座るに半畳、寝るに一畳。畳を通じて日本文化を世界に誇る。

佐野畳屋店舗

昭和二十四年に祖父が畳屋を開業し、たくさんのお客様の笑顔に支えられてここまで歩んできました。 一度、畳を敷き終えた時、お客様が「ありがとう、これで良い新年を迎えられるわ」と、畳に頬ずりをして、クシャッとしわを寄せて笑ってくれた 顔を今でも鮮明に覚えています。 祖父が畳作りを始めてから六十年以上、畳業界も大きく変わりました。和室の減少、機械化による大量生産、中国表、科学表の普及による国産表の 衰退・・・・。

しかし、変わりゆく時代の中でも変わらないもの。それは、受け継がれる想いと、笑顔からもらえるエネルギー。 「すべてはあの時の笑顔の笑顔がまた見たいから。」 だから今日も変わらず、一枚一枚心を込めて、畳を縫っています。

佐野畳屋 三代目店主 佐野 典久
S T O R Y
逃げ出した先にあった父の言葉「畳学校にいってみるか?」

2005年、僕は福岡市内から地元田川に戻り畳屋を継ぎました。 といっても、継いだというよりただ、転がりこんだ。感じ。な ぜなら、負け、逃げ帰ったから。何に?

・・・・自分です。

自分がすべてを決め、頑張るだけ。今ならそう思えるけど、当 時の僕は運命のせいにしてた。こういう運命なんだろうな、と か。そうやって実家に戻り、畳屋をやることとなった。当初は 畳をそんなに好きじゃなく、ただ母が重い畳持つのを見るのは 忍びなく手伝っていただけでした。暇があればギター弾いて歌 い、仕事が終わればすぐ草野球の練習・・・。そんなまま1年 ほど過したある日。

「畳学校いってみるか?」と先代である父に言われ、 「どっちでもいいけど行ってみる」的なあやふやな感情で入学 を決めた。高校を出て音楽学校に行った時のワクワク感とは正 反対でした。失礼だけど。

佐野畳商店
考える人
悶々とした畳学校での日々。だがある日、「それ」に気づく

いざ入学し、通い始めることになりましたが、最初の頃は算数 とかなんとか、畳を縫うことがなく、縫う時も上敷き(ござに 縁を縫い付けたもの)ばかりであまり楽しくなかった。当時の 佐野畳屋も中国産材料が主で、8割機械仕事という感じだったの で、正直何も面白くはなかったです。そうこうしてるうちに二 年になり、時々手縫いで畳を縫うようになり、ちょっとずつ 思ったところに針が上がるようになってきた。でも佐野畳屋で は相変わらず中国産の機械縫い。時折、手で練習したりするけ ど何か別にワクワクもなく。

そして三年生。ほとんどの授業が実技のみになり、二級試験に 向けて「タイム」を気にするようになった。ちょっとずつス ピードが上がってきたと思っていても、二級のタイムにはまだ 遠い。その頃は佐野畳屋でも積極的に手縫いを取り入れていた ので、ひたすら手縫いに追われる毎日でした。でもある日、畳 を縫っているときに気付いたんです。

「なんか学校のときと違うな。」

そう。家でやる場合は中国産の畳表だったんです。学校には国 産畳表もあった。中国産は艶もないし、なんかカサカサ固いん です。でも、国産(と言ってもへっぽこ生徒用ですから安い物 ではありますが・・・)は、艶があるんです。いい匂いだし。 その違いが色々わかるようになって、どんどん畳が好きになっ ている自分に気づくんです。

これいいなー。これ(国産畳表) ばっかり使いたいなー、って。 といっても、見習いの身ですから、相変わらず家では中国産。 それでも「いつか国産ばっかりを縫えるように頑張るぞ」と思 うまでにはなっていました。

日本のい草がなくなる!?国産い草、生産者との出会い

そんな、畳職人としての自覚が芽生えつつあった(?)ある 日、い草産地がどんどん縮小しているという話を聞いたんで す。

「ええええーーー」

理由は当時の佐野畳屋見れば一目瞭然。安いからです。シェア としてはすでに80%が中国産・・・。 「これはいかん!!」とあてもなくい草の産地熊本県は八代に 行きました。そしてあてもありませんから、わけもわからずと りあえず千丁町という場所のJAに飛び込みました。当時のい草 担当の方が心意気を買ってくれて農家さんを案内してくれまし た。※このことはブログ『ボクとい草の物語』シリーズをご参 照ください。

それから毎月のように八代に通いました。勉強というよりは、 「やめないでくれ〜」「俺頑張りますから〜〜〜」と、彼女に 別れを切り出された時の男みたいな感じです。ただそんな感じ でも生産者さんと話し、い草を知っていくと、どんどん素晴ら しい草に出会います。下手なりに手で縫ってみて、「うわ〜〜 最高やん。うわ〜〜〜!」・・・。気づけば、実家に転がり込 んだ頃のあやふやな感情はなくなり、頭の中は畳のことでいっ ぱいでした。

佐野畳商店
佐野典久
手で触って、嗅いで、感じて、国産い草の畳を皆さまの元へ

そうなれば気合いMAX、学校もサクッと卒業(本当?)し、い ざ佐野畳屋へ。今では国産の中でも色んな品種の違いを知り、 感覚も研ぎ澄まされ、手で縫って「いいヤツ」を基準に仕入れ るようになりました。畳は毎日踏んだり寝たりするもの。

手でさわって、縫って、間近で匂いまで嗅いで、「みんな良いと感 じるに違いない!」という確信の元、みなさんに紹介していま す。また、生産者さんとい草刈りをしたり、お酒を飲んで語っ たりする中で、い草はただの商品ではなく「心が紡がれた大切 な天然素材」だと知り、その奥深さに魅了され続けている次第 です。

話がすごく長くなりましたが、僕が畳を好きなわけ少しでもわ かっていただけたなら幸いです。手で縫ってみて、嗅いで、感 じて、「いいヤツ」にこだわり抜いた、天然い草。目利きとい うか五感で確める的な。すごく偉そうですがそんな感じなんで す。佐野疊屋はい草が大好きな店主の元、これからもずっと ずっと日本が誇る畳でわくわくしていただけるよう頑張って参 ります。


おしまい
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